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漫画『ぼくらの』感想──死ぬこと、闘うこと、生きること

Published: 2024-11-20

はじめに

この記事は、鬼頭莫宏による漫画『ぼくらの』を読んで思ったことや考察などを記す既読者向けの記事である。故に、ネタバレに関して一切配慮していないので注意されたし。

あらすじ

夏休みの自然学校に参加した 15 人の子どもたちは、「ココペリ」という謎の男にあるゲームを持ちかけられる。 その内容は、「全長 500 メートルのロボットを操縦して敵の怪獣を倒し、地球を守る」というものだった。 ロボットに「Zearth」と名付け、意気揚々とゲームに参加する契約を交わす子どもたち。 しかし戦いを重ねていく中で、彼らは自分たちを待ち受ける運命、そして「敵」を倒すことの本当の意味を知ることになる。

本作の魅力

残酷な設定が照らし出す、生きることの真実

『ぼくらの』はしばしば「鬱漫画」と呼ばれ、その理由として「ロボットの操縦者は勝敗に関わらず死ぬ」という設定が挙げられる。しかし、この漫画の本当の恐ろしさは「この残酷なルールでさえ序の口に過ぎない」ということであろう。物語が進むにつれ、子どもたちは「敵」の真の姿を知ることになる。それは平行世界の人間が操るロボットであり、要は自分たちと同じく自分の地球を守るために戦っている存在である。つまり、このゲームの全容とは「『負けたら自分の宇宙が滅びる』という条件のもと行われる、分岐した平行世界同士の壮絶な生存競争」という一切救いのない内容なのだ。

このように、『ぼくらの』の登場人物は「死ぬこと」及び「死なせること」の両方から決して逃げられないようになっており、読者に対してもひどく陰鬱な印象を与えることだろう。では、『ぼくらの』はただ胸糞悪い世界を描き、読者の気を滅入らせるだけの作品なのか?その問いに対して、筆者ははっきり「否」と答える。何故ならば、この作品は避けがたい死と殺戮を通じて、むしろ生きるための闘いを明瞭かつドラマチックに描いているからだ。

このメッセージが最も直接的に表現されているのがキリエ戦だろう。思慮深い人物として描かれているキリエは「自分の世界は相手の世界を滅ぼしてまで継続に値するのか」「そもそも世界が違うだけで同じ人間である以上、本当に敵とみなしていいのか」と考え、戦う覚悟を持てずにいた。しかし、そもそも人は他の動植物の命を食らって生きているし、同種の人間についても自分や同胞が生きていることで他の誰かが死んでいるかもしれない。つまり、人は生きているだけで業、そして失われた命の分まで生きる責任を背負わなければならないのだ。当然、平行世界の人間に対しても同じことが言える ── キリエはそのことに気づき、ついに自分の世界のために相手の世界を滅ぼす決意をした。それは単なるエゴではない。仲間を、自分の世界を生かす責任を引き受けた者の覚悟である。

作中のゲームはただ残虐で悪趣味なだけの設定ではなく、むしろ登場人物の価値観や生き様、そして「人は他の命によって生きている」という一つの真実を描くためのものとして効果的に機能している。そして、そうした生きること・闘うことに対する逆説的ながら真に迫る洞察こそが、『ぼくらの』が名作たる理由と言える。

軍事 SF としてのリアリティ

「全長 500 メートルのロボットを用いた平行世界同士の殺し合い」というのは当然ながら突飛な空想である。しかしながら、本作はその絵空事に対して真剣に向き合い、確固たるリアリティを構築することに成功した。

作者の趣味が存分に反映された軍事技術関連の設定や近未来的な各種ガジェット等もさることながら、後半の戦闘における洗練された戦術も作中世界への没入感を高めている。この点において白眉とも言えるのがカンジ戦であり、敵のロボット「ジャベリン」は

など相当に戦術を練った強敵であった。その打開策となったウシロ発案の作戦も、

という非情かつ合理的な奇策であり、双方手に汗握る頭脳戦を展開していた。 「素人の子どもが操る架空の巨大ロボットの戦いを描きつつ、その中で巡る思考・戦術論や兵器の運用は至って現実的」という戦闘描写のバランス感覚は見事という他なく、本作が単に感傷的・観念論的なだけの作品とは一線を画す理由の一つと言えるだろう。

細やかな人物描写と、研ぎ澄まされた構成力

『ぼくらの』は人間ドラマに関しても一級品だ。15 人の個性豊かな少年少女が持つ等身大の感性、鬱屈したやり場のない感情、そしてそれぞれの背負うもの…といった一つ一つの人生が丁寧に描かれており、ジアースによる確実な死を前にしてその輝きは一層増すことになる。そしてそれは子どもたちに限った話でもなく、子どもたちの家族、コエムシ、政府や軍の人間、果ては敵性地球人に至るまであらゆるキャラクターについてもそうである ── その描写力故に、戦闘はますます重苦しく悲惨なものとして映るのだが。 好きなキャラについても嫌いなキャラについても、物語を読み終えた後にはきっと「彼らは確かに生きていたのだ」という感慨を抱くことが出来るに違いない。 ちなみに、筆者の一番好きなキャラクターはコエムシである。最初は傍観者気取りで残忍だった彼の成長がなければ、本作のある種爽やかとも言える結末はあり得なかっただろう。

それ以外にも、物語全編にわたる緻密な構成力も見逃せない。ゲームの真のルール・世界観や未契約のパイロットを巡る問題など、情報を開示して物語を盛り上げるタイミングがよく考えられていると感じることが多かった。また、キャラクターの言動には一度読み通して初めてその真意に気づくものもあり3、読み返す度に新たな発見があるのも『ぼくらの』の魅力である。

感想・考察など

ここからは、全体的にゆるい感じで感想やちょっとした考察などを書き連ねていく。

好きな・印象的なシーン

出典となる巻の偏りが激しい(というか殆ど最終巻である)が、ご了承願う。

「これは、親友を殺そうと考えた罰だ」

完全版 ぼくらの(2)p295
完全版 ぼくらの(2)p295

賢く柔和な印象のモジが親友を殺して意中の相手を奪おうとしていた、衝撃的なシーン。「ただの聖人君子ではなく、年相応の欲望や人として醜い部分も持ち合わせている」ということが分かり、筆者はモジというキャラクターをかなり好きになった。また、ナギもナギで「自分が怪獣に殺されれば、ツバサはためらうことなくモジと付き合える」と考えていたことが後に分かるのも切ない。

「幼馴染の異性を巡って親友同士で争った結果、最終的には互いに相手の幸せを願うようになる」という話自体は、言ってしまえばありがちではある。ただ、作中の設定を絡めつつ思春期特有の痛々しさと瑞々しさをここまで描けるのは作者の力量が成せる業だと思う。

「みんなこんなのに、耐えていたのか」

完全版 ぼくらの(5)p220-221
完全版 ぼくらの(5)p220-221

これまでも散々描写されてきた「来たるべき死の喪失感」が、漆黒の闇という最も分かりやすい形で改めて表現されているシーン。よりにもよって最後の戦いでこういう演出をするのがニクい。この喪失感を知ったとき、ウシロは初めて本当の意味で「ぼくらの」一員になったのだろう。

また、見方によってはコエムシもこの喪失感を共有しているように見えるのが面白い。彼も妹をこのゲーム絡みで失っており、その遺志を継ぐべく引き継ぎ戦のパイロットとして死ぬことをこの時点で考えていた可能性は十分にある。いずれにせよ、最初は「冷酷で嫌な奴」でしかなかったウシロが「主人公」「当事者」へと変わっていく重要なシーンの一つであることは間違いない。

「縮図だな」

完全版 ぼくらの(5)p327
完全版 ぼくらの(5)p327

『ぼくらの』における最後の通常戦で、ウシロが相手の地球に住んでいる全ての人間をレーザーで殺す決断をしたときの台詞。

筆者はこの台詞が妙に印象に残ったのだが、初読時にはその意味を理解出来なかった。しかし、何度か読む内にある推測が立った。即ち、「どのパイロットも本質的にはウシロと同じことをやっている」という意味ではないだろうか。

ウシロ戦は、作中の全戦闘で最も凄惨なものとして描かれている。実際、レーザーで人を撃ち続けている間ウシロは何度も吐き続けるし、犠牲者の叫び声が幻聴として聞こえてしまうほど精神的に追い詰められていた。しかし、他の全てのパイロットも敵性地球人を皆殺しにしている点は同じである ──「一人の敵パイロットを殺して相手の宇宙を消す」という間接的な形ではあるが。要は全人類を直接撃ち殺すか宇宙ごと消すかの差でしかないので、コエムシはウシロの殺戮を見て「このゲームの本質は『これ』だ」と改めて理解したのだと思う。

「神なんてのは数式だよ、未だ解かれない物理法則だ」

完全版 ぼくらの(5)p401
完全版 ぼくらの(5)p401

『ぼくらの』の世界観を端的に表すとこうなる。世界の残酷さに理由などないし、ロボットを用いた宇宙の剪定は物理法則としてこれからも終わることはない。いささか虚無主義的だが、それでも人は生き、失われた命に対して業と責任を背負い続けるのだろう。

強い機体・弱い機体

読んでいく内に多くの人は気づいたと思うが、各世界に与えられるロボットの性能にはかなりの差があると思われる。以下、個人的尺度に基づき特に強そうな機体と弱そうな機体を紹介していく。 なお、作中で少なくとも二度4にわたりゲームを勝ち抜いたジアース(Zearth)に関しては「殿堂入り」とし、ここでは触れないものとする。

総論

「一回も負けてはならない」というゲームの性質上、「一点特化の特殊能力による初見殺し」よりも「相性差が小さく、広く浅く対応出来る汎用性」の方が重要だと考えられる。その意味では、作中でジアースを苦戦させたゴンタやジャベリンは意外と強くはないのではないか5。また、ロボットはパイロットのイメージによって動かすことを考えると、ジアースのように人の形をしていることは動きをイメージする上で有利に働くかも知れない。

アイドル(Idol):強そう

完全版 ぼくらの(4)p38
完全版 ぼくらの(4)p38

アンコ戦で戦った機体。作中では、殆どの攻撃を回避する高い機動力と装甲を溶かす針でジアースを苦しめた。 「相手の攻撃を避けるのに適したスピード重視の機体性能」と「高い攻撃性能を持つが再生に多少の時間がかかる針」がばっちりと噛み合っており、ヒットアンドアウェイ戦法に非常に向いている。

もちろん弱点も無いわけではなく、一発攻撃を受けただけで体勢を崩すなど防御面には脆さがある6。 しかし、それを補って余りあるスピードと攻撃力、そして「(恐らく)多くの敵に同じ戦法が通用する」という高い汎用性を兼ね備えた強機体だと思う。 作中でアンコの攻撃を受けてしまったのも、「攻撃をカスるギリギリで回避する」「フェイントにひっかかる」などパイロットの油断があったからという気がしてならない。

ハムバグ(Humbug):強そう

完全版 ぼくらの(3)p231
完全版 ぼくらの(3)p231

コモ戦で戦った機体。ジアースと同じ人形だが、特殊能力が凶悪の一言。大量の触手を生やして相手のコックピットを突き破り、なんとそのままパイロットにダイレクトアタック出来る。「強い機体」と扱われているジアースにほぼ勝利する、14 戦中 12 戦勝ち抜いているなど、作中でも強力なロボットとして描写されているようだ。ジアースと同じ形状である以上格闘戦もある程度こなせるだろうことを考えると、少なくとも近接戦においては無敵に近いと思う。ただし、個人的には 2 つの欠点を指摘したい。

まず、ジアースと同じ形状であるため、遠距離攻撃への耐性や索敵能力は低いと考えることが出来る。触手が近距離相手にしか機能しないことを考えると、(レーザー等を持っていない場合は)例えばジャベリンに対してはほぼ勝ち目がないだろう。

そして 2 つ目はパイロットの精神に関する問題であるが、恐らく触手を使う場合は殺す相手の顔をしっかりと見なければならない7。敵のロボットを操縦するのが平行世界の人間であることは遅かれ早かれ分かることだとはいえ、実際に顔を見た上でその人を殺すのはただ核を破壊するよりも遥かに強い罪悪感を覚えるはずだ。作中のハムバグのパイロットも、「敵のパイロット(コモ)が自分の一人娘と同じくらいの子どもだと分かってしまった」からこそとどめを刺せなかった、という面もあるのではないだろうか。

ドラム(Drum):弱そう

完全版 ぼくらの(1)p279
完全版 ぼくらの(1)p279

ダイチ戦で戦った機体。恐らく本記事で紹介するまでもなく、最も読者からネタにされている機体だろう。最弱のロボットとしても挙げられがちだが、個人的には「最弱ではないし戦えなくはない」程度の性能だと考える。

まず、ジアースに力で抑え込まれたのは単にパイロットの力量差だと思われる。 相手がダイチほど強くなければ、またはドラムのパイロットがもっと力を出すことが出来ればパワー勝ちしてジアースの装甲を削りきれる可能性は十分にあっただろう。 また、「空間に対して回転する」という性質も見逃せない。希望的観測になるが、上手く使えば跳躍や飛行も可能だったのではないだろうか? それ以外にも、「出来ることの少なさ」が有利に働く局面も考えられる。年齢が若ければ若いほどロボットの力が強まるのであれば、ドラムの単純さは「複雑な動作が出来ない小さな子どもにも扱いやすい」というメリットにもなるはずである。

ただし以上の擁護を踏まえても、

という理由からやはり扱いづらい機体であることは否めない。しかし後述のキャンサーはまともな攻撃手段さえないことを考えると、それよりはまだ恵まれているとも言える。

キャンサー(Cancer):弱そう

完全版 ぼくらの(1)p182
完全版 ぼくらの(1)p182

コダマ戦で戦った機体。作中の描写だけ見るとそこまで弱くないように見えるが、実は キャンサーはジアースに対して傷一つつけられていない。 それもそのはず、作中でキャンサーが行った攻撃は「触手で相手を絡め取って地面に叩きつける」これだけである。このゲームには「ロボットはロボット以外による攻撃では決して傷つけられない」という原則があるため、いくら相手を地面に叩きつけたところでダメージを与えることなど出来ない。つまり実質的には明確な攻撃手段を持たないと言ってもよく、はっきり言ってドラム以下のハズレ機体である。

一応カナ戦にもキャンサーと似たロボットが登場しており、そちらは自分やジアースの破片を触手で掴んで相手にぶつけるという形で攻撃を行っていた。ただし、これについても攻撃性能としては「最低限」という感があり、描写上もそこまで強そうには見えない8

その他

おわりに

初めて漫画のレビューを書いたが、実際に書いてみると情報の取捨選択や描写の見落としなど様々な難しさがあった。また、画像の引用の仕方に問題があれば是非指摘して欲しい。

脚注

  1. その精度は、たった 3 射で飛翔体をジアースに直撃させるほど

  2. レーザーは地上のあらゆる物質を貫通するため、相手がどこにいようが場所さえ分かれば攻撃出来る

  3. マチがコエムシとグルであることが初期からそれとなく仄めかされていたこと、カンジがジアースの高さを即座に見抜いたことなど

  4. 最終話の地球がゲームを勝ち抜いた場合は三度

  5. ゴンタは挟む相手の大きさによっては攻撃自体が難しくなるし、先に上を取られたら勝ち目が無い。ジャベリンについても剥き出しのコックピットに常に注意を払う必要がある他、パイロットの性格や相手の世界がとる戦術によってはアウェーの遠距離戦自体が成立しない可能性がある

  6. それでもレーザー程度なら無視出来る

  7. 「自分のパーツはどれだけ離れていても見える」という設定がある以上、パイロットに触手を向かわせるのは目視で行っていると考えられる

  8. カナが途中まで苦戦していたのも、煙幕や田中一尉を人質に取るなどロボット以外の事情によるものが大きい